静岡県静岡市清水区の人工透析・泌尿器科【杉山クリニック】駐車場完備・無料送迎あり

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透析患者様の声

当院の治療システムや施設、またスタッフについて、
患者様が日頃感じていらっしゃることをご紹介いたします。

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透析患者様は1週間に3回通院されるのが通常です。
だからこそ、外来の病院とはちがい、私たちスタッフと患者様の関係は気兼ねなくなんでも語りあえる間柄でいたい。そして、人と人とのつながりによって患者様が安心して透析を受けられる環境を作っていきたい、と願っております。

 
透析患者様の声

朝のひと仕事を片付け、クリニックに飛び込む毎日です。ローカー室に流れる静かなクラシックで、心が落ち着きます。透析室に入ると、スタッフの皆さんが、明るい笑顔でいろんな事を受け答えしてくださり、多くのことを学びました。透析弁当をいただく事で、栄養の事やのどの渇きを起こさせない味付け等、我が家の食事の改善に役立っています。

 

透析患者様の声

どういう構成で文をすすめていったらよいか、少し迷いがあったが「無念さ」「感謝」「病院の長所」「看護スタッフの充実さ」など、そして結びは川柳で留めることにした。途中、一点の角度以って看護婦(含む“士”)を讃ようと一考したが、また、そこには教訓じみたものは入り込む為、止める事にした。私の頭に入れている姿は、常なる容易な事象でしかない。即ち「か・き・く・け・こ」の世界である。
か=完成/き=協力(気力)/く=工夫/け=堅実・健康/こ=好感・心得(恋でも良い
大体の文意は次のようなものである。
「春風を以って人に接し、秋霜を以って自らを慎む。」これは、江戸時代を生き抜いた、儒学者 佐藤一斉の言である。なかなかの人生訓である。柔和な面持ちは人に好感を与え、且つ優れた感性がともなえば、品位を構築する。工夫は協力の中で育まれ、努力により堅実性が加味され、作業は推進・改善していく。この姿がこの病院の看護スタッフにはある。これを理解する為に患者も常に鮮度を高め各種の自己努力をしなければならない。
技術の推進は幾多の改善を生んだ。新知識の導入・対応はかなりの努力が案請されるところだろう。看護の諸氏に於かれましては大変な事であろう。
しかし、患者のため・社会のため・医院発展のため、尽力を尽くしてください。

 

透析患者様の声

私は人工透析を始めて12年、仕事は測量・設計・登記と現場に出る事も多いのですが、透析を行っている事で仕事も滞りなく、この12年間出来ました事は、大変嬉しく関係の皆様に感謝する次第です。
杉山クリニックが開院した時、夜間透析は私ともう一人の方の2人だけで透析をやってもらっていました。現在夜間透析を行っている患者は20人と大変増えました。
透析患者は、これからもますます増えると予想されていますが、予防教育に役所とか医師会がもっと力を入れて宣伝・教育等に取り組んでもらいたいと思います。そうする事が、透析患者を減らすものと思います

 

透析患者様の声

―透析10年を迎えて―
あの日、海際のあじさいが咲きほこる頃、波はひだを為して光を寄せていたが、我には、糖尿が腎・血・眼を患わせていた。
思えば、10年前(平成7年)梅雨の始まりが迫った6月、この月の2日の夕方、私は人工透析に入った。妻子は肩を落とし、微笑みは消えていた。
季節は夏に向かうのに畑野は昏れ行く陽は何故か速く感じた。杉山クリニックにお世話になった日は、平成7年7月17日だった。この日から今日まで、クリニックの全員に支えられ私は生きて来られた。心から厚い感謝を覚える。日々を顧みる。
病院に入ると、看護助手の明るい笑顔と挨拶がある。それが素朴である為に、嬉しくなる。新装された治療室は広々としていて気持ちがいい。近代化された設備がいっぱい並んでいる。万全な設備に驚くも、それが安心感を与えてくれる。看護婦スタッフも充実している。よく勉強されているため、患者に対し懇切にしてくれて適切な指導が出来ている。ぼんやりとしている時などは気を使ってくれて、声をかけて下さる。なんと優しい気遣いでしょう。これこそ「旅人への一言」と言うものなのだろう。用事が生じて、やむ終えず看護スタッフを呼ぶ時、看護スタッフは必ずといっていい位しっかりと手を洗ってからその用事を行っており、また新しい手袋を用いて、その手当てに当たっている。院内感染に注意しているのだ。透析時間は確かに長いが、夫々その日々を了える。患者は幾点かの歌(感謝の意)を残し、病院を去る。「有難う。お世話になりました。」と言って春から夏、夏から秋、秋から冬、冬から春へと、季節は巡る。なんと1年がはやいことだろう。私の10年、私の体は痩せた。いつも太陽を恋しくして過ごした。春:「花菜みち 夕日はやはり さみしくて」夏は、子供のにぎやかな声に平和を祈りて暮らし、秋は:「湯の落ちる 秋の傾斜に 影寒く」冬の日は、寒さに震え春を待った。その間、体は弱くなって。ふと不安が襲った時、先生やその日のスタッフに助けられてきた。しかし、透析の日は心が重い。1時に家を出、7時に帰る日課となる。乗り合いのバスの旅である。-さすらいの さすらいの 乗り合いバスの 片隅に肩寒く ゆらりゆられて いく春か―来年で春を10回数える事になる。よき先生、看護陣に見守られ、、お陰で安心した透析生活を送る事が出来ている。
~ミルクユガフ~(沖縄の言葉で感謝と祈りを表す。)
水分の摂取に難渋する私ではありますが、努力(それは鍛と錬との繰り返しではあるが)し、少しでも長生きしたいものです。
1年の差はあるが、病院の歴史は私の透析生活そのものでもあり、また日々の旅史は、優しくしてくれる看護婦さんならびにスタッフ諸氏のお陰であり、年月を要したが漸く辛さを乗り越えたように思える。
透析10年、・・・「旅をした 深く悲しい 山越えた」